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常葉の由来


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本学園が創立されたとき、 創立者は静岡に因んで名産柑橘の一種橘花をもって校章と定めました。 橘は古くから桜と並び称せられ、 京都にある紫宸殿前庭にも、 左近の桜と並んで右近の橘があります。 清少納言も 「枕草子」 の中で、 雨の朝の橘花は露にぬれた桜花にも劣らぬ風情であるとほめたたえています。

今から1300年ほど前、 奈良朝の元明天皇の皇子であり、 持統天皇の皇孫にあたる軽(かるの)皇子をご養育申し上げた県犬養(あがたいぬかい)三千代という婦人がいました。 和銅元年(708)元明天皇が即位せられ、 大嘗祭が行われた後の宴会の席上、 天皇は三千代をさし招かれて、 幼少から皇子を熱心に養育してきた彼女の誠忠をお賞めになりました。 そのとき、 盃の中に橘の実を浮かべて賜わり 「橘は果実の長上、 人の好む所なり、 霜雪を凌ぎて繁茂し、 寒暑を経て彫(しぼ)まず、 珠玉と共に光を競ひ、 金銀に交じって美し。 以て汝に橘の宿禰の姓を賜ふ。」 という詔(みことのり)がありました。 それから三千代は県犬養という姓を改めて橘三千代と称して、 源平藤橘と並び称された名家の祖となったのです。

三千代は藤原鎌足の子不比等に嫁して、 のちに聖武天皇の后となられた光明皇后をお生みになりました。 皇后は姿も心もたいへん美しいお方で、 膚からの光が、 絹衣を透して輝くばかりであったところからその名がつけられたと伝えられています。 非常に慈悲の心が深く、 施薬院や悲田院を自ら営まれ、 庶民にも深く慕われました。 藤原氏がおおいに栄えたのも、 その一半は三千代の功績によるものと言われています。

聖武天皇が三千代の子である橘諸兄に賜った御製に
橘は実さへ 花さへ その葉さへ
枝に霜降れど いや常葉の樹
とあります。

本学園は、 橘が青々として、 いつも変らない常葉であるごとく、 学園もまた常に生々発展することを願って、 法人の名称を 「常葉学園」 と名づけたのであります。

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