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「自由と社会の調和」を求めて


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私は、サラリーマン生活を経て、米国大学院で学ぶ機会を得ました。米国での留学生活の中で、忘れられない経験に、隣室のルーマニア人夫妻を車でスーパーマーケットに連れて行ったときのことがあります。旧共産圏には存在しない、アメリカの大学街の巨大で品揃え豊富なスーパーマーケットの売り場に彼らは目を見張って私に言ったのです:
「自由とは『選ぶことが出来ること』だ」
日本でごく自然に享受していた事が、いかに有難いことであるか。買い物で商品を選ぶことのような日常の「選択」から、自分の人生をどのように生きるかという大きな「選択」まで、比較的に自由にできる現代の日本は本当に恵まれています。
一方で、大学院時代の友人によるとドイツのいくつかの州では、ジュースなどのペットボトルは、使用後、洗浄し再度ジュースが充填される「リユース型」があるそうです。洗浄再利用のためボトルには細かい傷があるうえ、メーカー全てが同じ規格のボトルにするので、そこには、いろいろなデザインのものから選ぶという自由はありません。特定の目的(この場合はプラスチック廃棄物を減少させる)のためには、敢えて自由を制限するという方法もあるのです。
このような「選択の自由と社会課題」が私にとって重要なテーマになりました。その後、大学院で産業組織論や計量経済学の手法を学び、環境問題を主な題材に、様々な技術を持つ企業の活動や嗜好の異なる消費者行動がどのように社会・経済全体に影響を与えるのかを分析し、企業(技術)・政策・消費者の相互関係をより明確に解き明かしたいという思いを強くしました。
大学院以後、気候変動適応策のための手法(例えば、デリバティブなどの金融商品の活用)の開発やバイオ燃料導入による社会経済的影響評価等を行ったり、環境省推進費研究の適応プロジェクトとしてガンジス川流域における適応効果指標の開発を行ったりしてきました。そして国連環境計画(UNEP)を始めとする国際会議やアジアやアフリカでの現地調査に行くたびに、自由の大切さと社会の調和について考える機会を多く持ちました。
大きな時代の変換期である現在、私は引き続き「自由の尊さと社会課題の解決」について考察しながら、常葉大学での教育と研究に力を注いでいきたいと考えています。


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