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特別支援教育を志して


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私は2歳になる少し前、インフルエンザの感冒にかかり、高熱が何日も続いたため両親は大変心配して小児科を受診しましたが、母から聞いた話ではある医者からは「手の施しようがありません。この子は熱病のために目が飛び出して見えなくなるかもしれません」と言われたそうです。母は、その話を聞いて卒倒し、病室で倒れてしまった、と聞いています。
病気の子どもはいつも側にいる母親が唯一の頼りで、母親が倒れたら生きていくことは困難になります。
母親の思いに寄り添ったやさしい言葉かけと支援がとても大切です。母は、高熱の続くわが子の命を救うために、私を背負って必死な思いで受診したのですが、頼りの医者からはこれまでの母の心配や苦労に労いる言葉はなく大変なショックを受けたと想像されます。
結局私は2歳前に失明と診断されましたが、幸いなことに3歳頃には奇跡的に見えるようになった、と親から聞いています。
しかし目の質が弱く、目の手術を2回受け小学校時代は眼科通いの日々で、学校はいつも遅刻で病弱な子どもでした。
また4歳頃から軽度の吃音(言語障害)も加わり、人前で上手に話ができない苦手意識から、大学は当初理科系を専攻しましたが、後に自分自身の原体験と恩師に背中を押され、勇気を出して障害のある子どもの教育を志し、教職課程を履修し直して教員免許を取得し、人よりも遠回りしましたが、静岡県の養護学校(現特別支援学校)教師になりました。
幸い言葉はかなり自信を取り戻しました。
私は特に重い障害をもつ重度・重複障害児の教育や病気等で通学が困難な子どもの自宅等を訪問して指導を行う訪問教育に情熱を注ぎました。たとえ医者が医学的に手の施しようがないと判断した子どもであっても、決して見捨てることなく、子どもや保護者の気持ちに寄り添って、わずかな可能性を見出してその能力を引出し、人としての成長を導く特別支援教育の仕事は尊くやりがいがあると思います。

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