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随所作主


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人は、日々選択を繰り返し、選んだ結果と向き合って生きています。
 大学入学後の顔合わせで、国文科の同級生は皆、文学への志を堂々と語っていました。確たる目的意識もなく進路を選んだ私に、述べる抱負はなく、場違いの感に苛まれました。「間違えた」と思いました。けれども、授業が始まると後ろめたさは徐々に薄れていきます。
『万葉集』の講義では草の香を感じ、『蜻蛉日記』からは几帳越しに灯りの揺らめきが見え、西鶴の咄に歳末の世間のざわめきを聞く日々が続きました。講義と古典文学の本文から、いにしえの世界が立ち上る、言葉の力がそこにはありました。
置かれた場所で踏ん張ることで、なんとか新たな魅力を見出すことができ、「今」につながっています。

 ここからは、主に研究している軍記文学にちなんで、令和4年の大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』に触れてみます。
平家政権下における人々の目論見・思惑の錯綜する中、流人源頼朝の挙兵から平家討滅に向けて、主に坂東に視点を置いて描いています。『平家物語』等に取材しているのでしょう。ところが現在よく読まれる『平家物語』は語り本系・平家系と呼ばれる系統の本文で、頼朝の挙兵関連記事は、相模から都に届いた報せのみで、ほぼ都に視点が限定されます。
ドラマでは頼朝周辺の動きをつぶさに描き、在地の香りが漂う。その出所は、読み本系・源平系と称される一群の『平家物語』や『曽我物語』等です。石橋山の戦いで敗れた頼朝を梶原景時が見逃す話柄や房総半島に逃れる記述等、詳細に語られます。
同じ源平争乱を描きながら、視点の異なりがこの二群の物語にはあります。「こちら」があれば、「あちら」や「脇」もある。周囲を見渡すことで理解や思考に幅や深み・変化が生じる。その気付きにつながる東国視点に重点を置いた大河ドラマの展開なのです。

大学での学修にも複眼で観る学びの契機がいくつもあります。選んだ道を、まずは追求することで、新たな世界を広げていきましょう。

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