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「心頭滅却」と「我慢してはいけない痛み」


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「痛み」について皆さんは考えたことがありますか?痛みには「ケガや病気による痛み」「ケガや病気が無いのに感じる痛み」があります。痛みは常に主観的なものであり、ヒトは幼少期にケガなどの体験を通じて学習します。しばしば心理的な理由でも痛みは起こります。その背景にケガや病気を経験した感情的な記憶(=情動)が何かのきっかけで引き出されることにあると考えられています。こうした痛みはそれ自体が病気なのです。「痛み」は医療の様々な場面で非常に重要であり、医療者は患者さんの訴える痛みに耳を傾ける必要があります。痛みを訴える状況はこうした心理的背景によって多岐にわたり、それぞれの状況に応じて適切なアプローチを考える必要があります。私は骨折痛、筋膜の痛み受容器の探索、筋筋膜性疼痛、ストレス誘発性疼痛など多岐にわたって疼痛学の基礎研究に取り組んできました。中でもストレスによって生じる持続的な筋緊張が脊髄のミクログリアを活性化して疼痛が誘発されることをつきとめました(図)。健康柔道整復学科では、痛み研究で培った情報を基に痛みの教育や研究を通じて科学的に患者さんの痛みを理解することの出来る人材育成に取り組んでいきます。
最後に「痛み」は英語で「Pain」ですが、語源となったラテン語では「poena」です。「poena」は「罰金や罰」を意味します。西洋において昔の人々は、痛みを「人間の罪に対する神の罰」と考えていたようです。しかし、日本では西洋とは違った捉え方をしています。「心頭滅却すれば火もまた涼し」と日本人は痛みを我慢する事を美徳としてきました。しかし、現代において痛みを我慢する事は、「痛みの慢性化」を引き起こすことが明らかになっています。我々の脳は良いことも悪いことも記憶するシステムがあり、長期の痛みは「痛み+情動」を記憶してしまいます。記憶された「痛み+情動=慢性疼痛」は現代の医療をもってしても治せない非常に厄介な病です。「痛み」を我慢せず早期に適切な治療を受けることが大切なことがわかりますね。アナタは体の痛みを我慢していませんか?

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