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「本当のことを言うと」


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高校生の皆さんには少し刺激が強すぎるかもしれませんが、現在の言葉の科学(学問)では、言葉の意味は、誰がどうがんばっても確定できないことになっています。わかりやすく言うと言葉では、真実を表現することができない、伝えることができない、ということで、「家康が江戸に幕府を開いた」とか、「地球は丸い」とか、その言葉がどれほど真実のように感じられても、たとえば(歌詞で)「もう二度と君をひとりにしないよ」と言うのと同じくらいいい加減だということです(もしくはその程度の真実です)。これを徹底して考えると、本当は、学校の試験なんて成り立ちません。関心のある人は、たとえば、意味確定度不十分性や言語ゲーム、文化的恣意性-象徴暴力という概念について調べてみてください(ChatGPTにも聞いてみましょう)。

私は現在、短期大学部の日本語日本文学科で教えていますが、上記のような言葉の真実について講義する際は、少し申し訳ない気持ちになります。言葉では真実を表現できないという真実を言葉で表現しなくてはならないからです。しかし、こうした言葉の矛盾した性質のおかげで、私たちは現実と虚構の間を往復することができますし(従って作品を本気で楽しんだり創造したりすることができますし)、柔軟に自分の思考や行動を変化させていくことができます。

自分が高校までの授業(や学校生活)で感じていた息苦しさを開放してくれたのが、大学で出会った言葉(言語)に関する様々な学問でした。それらは(ニヒリズムに陥るどころか)、私がかつて介護の現場で相談員の仕事をしていた時も実践的に役立ちました。日本語日本文学科の教員である現在も、学生たちと一緒に物語や映像作品(大方、アニメですが)の楽しさを拡張したり、誰かの心無い言葉から身を護ったりするのに役立っています。そんな風に日本語日本文学科での学びが、学生の皆さんの日常でも役立つことを願って、講義しています。

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