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Vol.44


アース・ワークスを訪ねて

 1997年、私は五島記念文化財団美術新人賞を受賞し、副賞(注1)として在外研修の機会を与えられ、アース・ワークスの調査を目的に渡米。その調査は6カ月に及び、現地での移動手段はバイク(ヤマハ:ビラーゴ535㏄輸出使用)を選択(身体をむき出しにして移動することで必然的に環境へのコンタクトが深まる)。
 アース・ワークスとは主にアメリカ西部(イギリスにもアプローチは異なるが、類似する作品群を認めることが出来る)、において1960年代後半から70年代初頭にかけて美術界に出現した表現形態である。当時のアメリカ美術界はユダヤ人によって生み出された“市場”という仕組みをギャラリー運営に援用しながら発展を遂げていた。当然、作家の生み出す作品は市場経済に流通する貨幣や株のような“情報”に置き換えられることになっていた。この状況に異議申し立てする形で、複数の作家が立ち上がり、売買や移送不可能な作品群を多産していく。しかもそれらの作品群はアリゾナ州・ユタ州など過酷な環境下に展開し、一般の人の侵入を拒絶するかのような場所に点在している。
 私はこのようなアース・ワークスの作家達の作品が社会化していく上で、市場化に取り込まれないサンクチュアリのような空間を構築しようとしていたのだと認識し共鳴した。今回はマイケル・ハイザー(カリフォルニア州生)の代表作でもある「ダブル・ネガティブ」を紹介する。

 彼は1944年著名な考古学者の息子としてバークリ(二重負形)ーに生まれる。カリフォルニア生まれの彼は大西部の風景が持つ物質とスケールを彫刻に表現させたいと考えた。
 自然を「無限性」という言葉で規定したのはジョン・ラスキンであったが、とくにハイザーはこの“無限性”をもっとも良く示す自然として砂漠をはじめとする広大な土地を選んでいる。「ダブル・ネガティブ」はネバダ州オバートンという片田舎の小都市の近隣に設置されている。ここから私がこの作品に到達するまでの工程を紹介する。


 前日宿泊したオバートン市内のモーテルを出発する。
今朝モーテルのテレビでハリケーン“ノラ“が発生したという情報が入っていたがまだ青空が見えている。オバートン空港へ向かう道を北上、空港手前でモルモン卓上台地の方向へ右折。この道を2マイル走り、卓上台地の西側斜面を急こう配で登る。台地上部を東へ3マイル走り東斜面へ至る。そこから道は右へ90度曲がりながら斜面を急こう配で降りてゆくが、それを降りきらずに手前で左折する。この道はにわかになくなってしまい広大な台地と一体化する(この台地の周辺は上空から眺めるとエスカープメントという波のような形状になっている)。台地に沿って1マイルほど進み、台地の東斜面を下る道がある地点から、北に数えて3つ目のエスカープメントに差し掛かると突然「ダブル・ネガティヴ」はその姿を現す。それは車体にまたがった自分の眼下に広がっていた。
 足元には複数の薬きょうが転がり、黒く焼けただれた廃車が遥か下50メートルほどのところに小さく車体の腹を見せている。上半身を捻って周囲を見渡してみても人工の構造物は一切視界には存在せず、ブーツの靴底の砂を引きずる音しか耳には届かず、奇妙な静寂に包まれていた。「ダブル・ネガティヴ」は長さ457m(1500フィート)、幅39.1m(30フィート)、深さ15.2m(50フィート)のエスカープメントに刻み込まれた巨大な溝の作品である。バイクを離れ、安全を確認しながら作品の中に降りたつと、この”巨大な溝“つまり虚空は巨大なだけになおさら、ここに充填されていたおびただしい土砂とその作業に関わった人為が頭の中を巡る。4半世紀の時を経過した”巨大な溝“はあちらこちら壁面が大きく崩れている。それらは再びこの巨大な虚空がゆっくりと時間をかけて人為を越えた時間と力で修復されていく途上を見ているかのようだった。 ふと空を見ると真っ黒な厚い雨雲が接近している。慌ててバイクに戻り現場を立ち去った。
執筆者 長橋 秀樹
教育学部初等教育課程 教授
(専門は美術教育)

注1:
五島美術館など芸術・文化の振興にも尽力した故五島昇の遺志をついで、東急グループでは財団法人「五島記念財団」を設立。
基本財産5億円を、平成3年度までに10億円に増額し、音楽・美術分野での新人の発掘及び助成、これらの分野での国際交流などを活動内容としていく方針である。

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