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Vol.43


コロナ禍のもとで「ひきこもり」について考える(連載全3回)
(第1回)ひきこもり当事者の「できない」という文脈

はじめに
 近年、新聞やテレビのニュースなどメディアのなかで「ひきこもり」ということばを頻繁に見聞きします。内閣府の調査によれば、半年以上自宅にひきこもっている40歳から64歳までの人口は推計61万人にも上り(1)、長期に渡って自宅にひきこもり続けている方々の存在が大きく社会的な問題としてクローズアップされ始めています。しかし、ひきこもり当事者の方々が日常生活のなかで抱えている問題それ自体に焦点をあてた記事や報道はあまり見かけません。そこで本稿では、最初に、ひきこもりの当事者の視点とは何かについてお話しした後、ネット上に書き込まれた当事者の「語り」からわかる日常生活における当事者のさまざまな悩みや不安の背景を概観し、最後に、それらから推察できるひきこもり支援について考えていきたいと思います。


ひきこもり状態とは
 まず、「ひきこもり」とはどのような状態をあらわすことばなのかを確認しておきましょう。厚生労働省によれば、「(「ひきこもり」とは)様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外での交遊など)を回避し,原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態」(2)を指します。言い換えると、「社会参加」、つまり、就学もしくは就労をしていない、あるいは家族以外の対人関係を持たない(3)という状態が長期に渡って続く状態が「ひきこもり」です。


「ステイホーム」vs.「したくても、できない」
 ところで、私たちは、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う自粛要請を受け、自宅に「籠る」いわゆる「ステイホーム」を経験しました。本稿の読者の皆さんも、自宅に籠り続けることで、日常生活や仕事面での不便さを感じ、また不安を募らせる日々を過ごされた方も多くいるかと思います。私たちが比較的長期にわたって「ステイホーム」を辛抱して続けることができたのは、「いまは自由に外出できないし、人と至近距離での会話や接触ができないけれども、いずれコロナが収束した時には、それらができるようになるだろう」という楽観的な希望があったからではないでしょうか。しかし、ひきこもり当事者にとって、このような「いずれできるようになるだろう」というポジティブな将来展望は、ほぼありません。実際にはまったくその逆で、多くのひきこもり当事者にとって、自宅に籠り続けることは、「(社会参加)したくても、できない」(4)というネガティブな将来展望の結果である、と指摘しているひきこもり研究の専門家もいます。将来展望のある「ステイホーム」状態と、将来展望の無い「したくても、できない」状態との違いは、ひきこもり状態を考えるうえでとても重要なポイントになります。実際、私の知り合いのあるひきこもり当事者は、「自粛のステイホームだけだったらいいのに、こっちはずっと自宅に居続けなければならない」と、この両者の違いを私に端的に言い表してくれました。したがって、「ひきこもり」状態を考えるための、さらには、当事者への支援の在り方を考えるための一つの有力なアプローチとして、ひきこもり当事者が語る「できない」というネガティブな表現に着目し、その背景の文脈を理解しようと試みることが挙げられると考えられます。


ひきこもり当事者の「できない」の文脈:「社会参加ができない」・「人生設計ができない」・「健全で規則正しい生活習慣ができない」・「基礎的な日常生活ができない」
 そこで、先ず、電子掲示板上に書き込まれた投稿メッセージの内容に含まれる「できない」表現に着目し、「できない」表現がどのような文脈で語られているのかをみてみました(5)。その結果、ひきこもり当事者は、①「社会参加(または社会生活)」、②「人生設計」に加えて、③「健全な生活習慣」、および④「衛生面や生理面など基礎的な日常生活」のそれぞれについて最も頻繁に「できない」と語る傾向がありました。このうち前者の①と②の背景には、「対人コミュニケーションへの不安や恐怖心」、「社会的自立に対する不安や絶望感」、「現状に対する失望や将来展望への絶望感」、さらには「外出することへの不安や恐怖心」などがあることが分かりました。また後者の③と④の背景には、「体調・衛生・健康に対する不満や不便さ」があることも分かりました。


「できない」の文脈からわかるひきこもり当事者への望まれる支援とは
 これらの「できない」文脈に着目すると、ひきこもり当事者が「できない」状態から「(社会参加が)できる」状態に移行するために、当事者自身が望む支援にはどのようなものがあるのかを推察することができます。結論を申し上げますと、当事者自身が望む支援には、不安や絶望感などを減らすような精神的な支援や「こころ」のケア、それに加えて、規則正しい生活環境づくり、体力増進、健康づくり、栄養や衛生管理など生活習慣を改善し、また基礎的な日常生活を支障なく過ごすための支援が求められていることが分かりました(6)。とりわけ、臨床心理の現場で行われるカウンセリングが中心のひきこもり支援(治療)のなかにあって、後者の「健全な生活習慣や基礎的な日常生活に対する支援」(もちろん精神面での支援やこころのケアがとても重要な支援であることは言うまでもありません。)は、意外とこれまであまり注目されてこなかったように思います。このように、ひきこもり当事者の日常会話(今回はネット上の日常会話)をつぶさにみてみると、いろいろ発見することがあるのです。


むすびにかえて
 本稿では、最初に、私たちの多くはアフターコロナに向けて日常を取り戻しつつある多くの私たちの現状と、依然として「できない」状態が日常的に続く多くのひきこもり当事者の現状との比較から、ひきこもりの当事者の「したいけど、できない」文脈を深くみていく大切さを述べました。次に、その「できない」文脈が、ネット上に書き込まれた当事者の「語り」のなかで、「社会参加」や「人生設計」、また「基礎的な日常生活」や「健全な生活習慣」についての悩みや不安として表現されていたという分析の結果をお話ししました。そして最後に、それを踏まえたうえで、ひきこもりの当事者への考えられる支援として、精神的な支援や「こころ」のケアに加えて、生活習慣の改善や基礎的な日常生活を支障なく過ごすためのさまざまな支援が考えられる、という私なりの見解をお示ししました。


 これらのひきこもり当事者の持つ「できない」文脈における困難さや不安は、私たちの多くが、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う自粛生活をとおして、程度の差があることは当然としても、一時的にせよ感じたことと重なる部分が多々あったのではないでしょうか。であるとするならば、今回のコロナ禍は、私たちに、ひきこもり状態についてより深く考え直すきっかけに十分に作用した、と肯定的に捉えてもよさそうです。このような観点で、これからのアフターコロナ時代においても、引き続きひきこもり支援の在り方について追及していきたいと思います。

※次回は、日本とフィンランドの文化や国民性の違いの検討をとおした両国のひきこもり状態の国際比較についてお話しする予定です。
執筆者 那珂 元
教育学部生涯学習学科 講師
(専門は図書館情報学)
〔参考文献〕
(1) 内閣府編. 生活状況に関する調査(平成30度).2019. https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/life/h30/pdf/s3.pdf, (参照2019-11-08).
(2) 齊藤万比古. ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン.2010. https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12000000-Shakaiengokyoku-Shakai/0000147789.pdf, (参照2019-11-08).
(3) 斎藤環. 社会的ひきこもり: 終わらない思春期.東京, PHP研究所, 1998, 222p.
(4) 石川 良子. ひきこもりの「ゴール」 : 「就労」でもなく「対人関係」でもなく. 青弓社, 2007, 251p.
(5) 那珂 元. 長期ひきこもり当事者の自立支援ニーズの傾向に関する研究 : 電子掲示板の書き込み内容の質的内容分析を通して. 常葉大学教育学部紀要. 2020, no. 40, p. 33-50.
(6) 同上

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