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Vol.39


「書き言葉」とコミュニケーション

はじめに
 日常のコミュニケーションの中で欠かせない「言葉」ですが,「言葉とは,いったい何…?」と聞かれて,どのようなことが頭に浮かぶでしょうか? 生まれてから自然と身につけた言葉は,人間にとってあまりにも身近なものであるため,そのような問いを考えたことすらない方も多いかと思います.
 さて,様々な学問分野で研究の対象とされる「言葉」ですが,わたくしは情報科学・人工知能の領域から「言葉」と「身体」との関連について研究しています.そこで,今回は言葉の中でも「書き言葉[1]」に注目してお話します.
※本文中の[1]~[5]は下段の【付録】で詳細に説明します。併せてご覧ください。


「書き言葉」の性質
 新型コロナウイルス感染症の対策として,テレワークやオンライン会議などを利用することが増え,メールやSNSなどを通して,コミュニケーションを図る機会が多くなっています.この時,書いて送った内容(=書き言葉)に対する読み手側の反応を見て,「そんな意味で伝えた訳ではないのに…」や「なんであんな風に伝わってしまったのだろう?」などといった経験をした方はいないでしょうか?

 なぜ「書き言葉」は,このような齟齬を生み出してしまうのでしょうか.それは,言葉にはたくさんの性質があるからです.例を挙げると,言葉の意味がはっきりとしていないことや(曖昧性),言葉同士が似て紛らわしいこと(類似性),一つの言葉が多くの意味を持っていること(多義性),言葉の表現と意味が互いに無関係であること(恣意性[2])など多種多様な性質があり,これらが情報伝達を阻害(=邪魔)する場合があります.
 また,言葉によって情報を伝えるときには,言葉と言葉を一本の線のように並べて表現しなければなりません.この性質を「言葉の線条性」と呼びます.たとえば,バスケットボールのシュートフォームを教える際,指導者は手本となる動作を見せながら指導することがほとんどです.仮に,この動作を書き言葉で説明するとなると,「両膝を深く曲げながら,右肘の角度を45度にして,左手はボールに添えながら…」など長々と書き連ねなければなりませんし,読み手ごとに動作のイメージが異なって伝わります.

 さらに昨今,SNSへの誹謗中傷が大きな社会問題となっていますが,書き込んだコメントはネット上に残り続けます(保存性).メールやSNSを送信した後,「前にこんな内容を送りましたね…」や「この文言が気に入らない…」など余計な言質を取られた経験を持つ方もいるかと思います.その他にも,人によって言葉に対する意味がそれぞれ違うことや(記号接地[3]の固有性),人から人へと伝わるにつれて,尾ひれ背びれが付いて言葉が変わっていく(可変性)など,書き言葉の性質が複雑に絡み合っています.
「書き言葉」は諸刃の剣
 対面で話す場合や電話などの会話では,視覚情報や音声情報から他者の気持ちを察しやすいものです.一方で,言語情報の書き言葉は粗い情報媒体[4]のため,上手く伝わらないことがあっても仕方ありません.

 もちろん,人間が進化の過程で獲得した書き言葉はデメリットばかりではありません.好きな人に気持ちを素直に伝えられず,曖昧模糊な表現で書いた言葉で心の内を伝えたい場合もありますし,よく知らない言葉を説明する際に,似た言葉を書いて説明することで読み手の理解を促す時もあります.また,一つの言葉が多義的に色々な意味を持つからこそ,効率良く情報を伝達することができます(人間の記憶領域は有限なので,すべての現象やモノに対して,一つずつ違う言葉が割り当てられるとなると到底覚えられません).さらに,情報を書き言葉として保存することで,過去の思い出を振り返ったり,未来の予定を忘れずにいることができるのです.すなわち書き言葉とは,良くも悪くも諸刃の剣になる情報伝達のツールなのです.


「書き言葉」をシンプルに
 計算機科学者・認知科学者の苫米地英人博士が「言葉があなたの人生を決定する」と述べるように,コミュニケーションにおいて,書き言葉は重要な役割を担います.したがって,頭の中に思考として浮かび上がったコトをすぐに書いて送るのではなく,言葉に書き出す段階で注意を払うことにより,円滑なコミュニケーションを実現することができます.

 では,どのように注意を払えば良いのでしょうか? 誹謗中傷や人の嫌がるメールを送信しないことは当然ですし,感情的な内容もなるべく控えることが大切ですが,紙幅の都合上,ここでは道徳的・倫理的な話は割愛し,情報学的な観点から書き言葉を送る際の注意点をお伝えしたいと思います.
 それは,「書き言葉をシンプルにする」ということです.情報量を多く持つイラスト・図を書き言葉に添えて送ることは情報伝達に有効ですが,これらをいつでも作れるわけではありません.そんな時には,一つのメール・SNSに対して,伝えたい内容(=情報)を一つにしてみてはいかがでしょうか.人は読み手の反応を気遣うあまりに,自然と書く内容が増え,伝えたいこと以外も書いてしまうことがあります(情報のエントロピー増大[5]).書き言葉をシンプルに一つにすることで情報を整理し,コミュニケーションを図ってもらえればと思います.




執筆者 山田雅敏
経営学部(草薙キャンパス) 講師
(専門は情報科学・人工知能)
https://www.informatics-lab.com/
【参考文献】
・アラン・クルーズ (著), 片岡宏仁 (翻訳):言語における意味;東京電機大学出版局(2012)
・大村平:情報数学のはなし 情報理論から暗号・認証まで;日科技連(2005)
・コミュニケーションの認知科学 言語と身体性;岩波書店(2014)
・人工知能学会編:人工知能学大事典;共立出版(2017)
・竹田青嗣,現象学研究会:哲学入門;幻冬舎(2008)
・苫米地英人:「言葉」があなたの人生を決める;フォレスト出版(2013)
・町田健:ソシュールのすべて 言語学でいちばん大切なこと;研究社(2018)

【付録】
[1]. 書き言葉:哲学者ジャック・デリダは,書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)との機能の違いを指摘した上で,書き言葉は書き手の伝えたいことから切り離されて,他者の間を巡っていると述べました.すなわち書き言葉とは,書き手側の考えとは異なる意味として,読み手側に伝わっているということになります.
[2]. 恣意性:言語学者ソシュールは,記号表現(シニフィアン)と言語内容(シニフィエ)との関係は恣意的なものであり,論理的な必然性はないとしました.たとえば,実際の<リンゴ>の内容を説明するときに「林檎」と必ず表現しなければならない必要はなく,「Apple」,「Pomme」,「アップップルー(筆者造語)」など,どのように表現しても書き手の自由です(=恣意).この恣意性の性質が,齟齬を発生させる一つの原因と考えられます.
[3]. 記号接地(Symbol Grounding):記号接地とは,人工知能の研究領域で議論される問題の一つです.この問題を提唱したハルナッドは,言語という記号(Symbol)が意味を持つためには,言葉の意味が感覚と接地(Ground)されていなければならないと述べました.たとえば,「チョコレート」を説明するためには,「甘い」,「茶色」の他にも,「子供の頃にお母さんが買ってくれた」,「バレンタインで彼に受け取ってもらえた」など随伴的な感覚的経験が積み重なって,人それぞれの言葉の意味が形成されています.
[4]. 言語情報:メラビアンの法則によれば,情報を伝達する際に視覚情報は55%,聴覚情報は38%に対して,言語情報は7%に過ぎないといわれています.仕事をする上で,メールやSNSの書き手から「前に書いているので,ちゃんと読んでください」と言われることがありますが,読み手側が文面だけを読んで理解できない場合があっても仕方ありません.
[5]. 情報のエントロピー増大:エントロピーとは「確率的な現象の無秩序さの尺度」で,自然に増える方向に移行し,「増大すると現象は死滅に近づく」とされます.昨今の情報化社会で,絶え間なく届くメールを管理し,膨大なニュースも必要に応じて取捨選択しなければ,情報過多になります.われわれ人間の行動は,自然に増える情報のエントロピーを制御する連続といえます.

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