グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



Vol.38


「平成」から「令和」へ:2020 コロナ・ショックを歴史的に見る

歴史には分岐点とか転換点というべきものがあり、われわれ歴史研究者はそれをもとに歴史叙述を組み立てる。

◆□□□□
 私が専門とする日本古代史には「天平のパンデミック」ともいうべき疫病の大流行があり(737 年)、この時期は正倉院文書のおかげでかなり正確な推計ができるのだが、全国平均の死亡率は25-35 %(これは中世ヨーロッパのペスト大流行と同レベルという)、当時の人口450 万に対して100-150 万人の死者が出たとされる(吉川真司『聖武天皇と仏都平城京』講談社)。これが聖武天皇に東大寺の大仏建立や国分寺創建を決意させ、かれの死後に道鏡の跋扈を許して奈良時代を終わらせる結果となった。
 また転換期には時代の本質が現れる。嵯峨天皇はいわゆる薬子の変( 810 年)で自らの政権を確立する一方、平城還都の動きを封じることで平安京が「千年の都」となる基礎を築いた人物だが、かれが57 歳で死去した直後に承和の変(842 年)が起こり、応天門の変(866 年)などをへて、藤原氏の覇権が確立され、摂関政治の幕が開かれた。してみると、嵯峨天皇が平安時代史のキーストーンであったことが知られる。この要石がもう少し長く政局を支えていたら、藤原北家の栄華や武士の台頭などもなかったかもしれない。

□◆□□□
 こういう「歴史的なものの見方」は中学高校の社会科で身につけることになっているが、本学でそれを教える立場の私自身この4 年間はその能力を試される日々を送ってきた。私は2006 年夏に東京から天津の南開大学(日中国交正常化を実現した周恩来の母校)に赴任し、北京五輪の夏からは北京大学に移って2016 年春に帰国した。その夏、平成天皇が「生前退位」の意向を示した。これに「日本会議」副会長の小堀桂一郎・東大名誉教授が「事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である」と述べた。「国体」という亡霊の復活に思わず鳥肌が立った(もちろん国民体育大会のことではない)。
 かつて丸山真男は『日本の思想』(岩波新書)で伊藤博文の証言をもとに「国体の創出」を論じて、「決して主権の民衆に移らざる」政治的保障とともに、「国家秩序の中核自体を同時に精神的機軸とする」べく、伊藤は天皇を「ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教の精神的代用品」として位置づけた。いわゆる江戸三百諸侯( 実際は260 人前後の大名) によりバラバラに分割統治されてきた日本を、近代的な国民国家Nation-State として統合するには強力な中核=機軸が必要であり、そこに天皇がいわば嵌め込まれた。その際、伊藤は天皇の「生前退位」を否定し、「人類ナレバ其欲セザル時ハ何時ニテモ其位ヨリ去ルヲ得ベシ」という井上毅の反論をも退けた(明治20 年3 月20 日高輪会議)。国民統合のコアがなくなれば、国家がまたバラバラになってしまうからである。

□□◆□□
 1945 年8 月、日本政府は「国体護持」を暗黙の条件にポツダム宣言を受諾し、翌年11 月には天皇を「国民統合の象徴」とする日本国憲法を制定した。これを一般に戦後の新しい「象徴天皇制」の成立と言うが、この「象徴」の語は伊藤のいう「機軸」と言い換えてもよく、要するに現憲法第一条は「国体護持」の条文であった。もちろん機軸から象徴への書き換えには「主権在民」という大きな政治的保障が介在するが、先の小堀発言を聞くと、そこはあまり重要ではなく、もとより「国体」が抹殺されたわけでもなかった。
 平成天皇は即位以来30 年間、戦争や災害の被害者に対する慰霊と慰問の旅を続けた末に退位の意向を示した。それは、伊藤が否定した生前退位を実現することで、伊藤らが創出した国体を「事実上」破壊し、慰霊や慰問( 癒やし)を「象徴のつとめ」として、憲法の「象徴天皇」の中身を「国民に寄り添う皇室」に書き換えるという、天皇の長い闘いでもあった。それは「平成史」の誇るべき功績といえるが、この譲位は「一代限り」とされた意味で、平成天皇の知られざる闘争は道半ばのまま終わったというべきかもしれない。

□□□◆□
 そして今春、政府は「緊急事態宣言」を発出した。それは発「令=order」ではなく、武漢のような封鎖も拘束も罰則もなく、ひたすら「自粛」を要請するものであった。政府は「私権制約」を理由に挙げたが、私権の対義語は「公権」であり、国家のそれは一般意志=general will や良識=bon sens の上に成り立つ。
 欧米の公権力が堂々と罰金や都市封鎖をかけているのに、日本はなぜできないのか。そこには私権制限の対価「補償」をできる限り回避する思惑も窺える(一方で日銀は株価を買い支えている)が、「自粛」要請は現実に機能し、「令和のパンデミック」は今のところ欧米のそれに比して遙かに被害が小さい。この「日本モデル」の功用を海外のメディアは当惑して伝えるが、その秘密は現代の国民統合装置「国体」が「自粛」要請という同調圧力を増幅する仕組みにあるのではないか。
 丸山は先の「国体の創出」に続けて「『国体』という非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったか」の一例に、1923 年から2 年間東大にいたレーデラーの証言を紹介する。当時摂政宮であった昭和天皇が狙撃された虎ノ門事件で山本権兵衛内閣は総辞職し、警視総監以下は懲戒免職、犯人の父は衆議院議員の職を辞して蟄居し、その郷里は全村挙げて喪に服し、犯人を世に送り出した小学校の校長と担任も引責辞職した。「このような茫として果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力」はドイツ人の目に異様に映ったというわけだが、この「無形の社会的圧力」と今回の「自粛」要請を機能させた「同調圧力」とは全く違うものであろうか?

□□□□◆
 丸山はこの国体を「無限責任= 無責任の体系」と定義したが、いまの日本では、どんな不祥事が起こっても「再発防止に努める」と言って誰も責任をとらない。他方では「自粛警察」なるものが現れて「同調圧力」が実体化する。戦後復興や中流意識でつなぎ留めてきた国民統合体は今や「美しい国」を愛する心と「国難」への危機感が読むべき「空気」を圧縮し、同調圧力を増幅させる。世界が「分断」に向かう中、日本は美しい調和(令和)を奏でていると喜ぶべきか、同調圧力( 和せしむ) で歴史をくり返してはならないと憂うべきか。
 2020 年コロナ・ショック、今われわれは歴史の大きな分岐点に立っている。
執筆者 井上亘
教育学部 初等教育課程 教授
(専門は歴史学)

ページの先頭へ戻る