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Vol.25


お家でできる名品鑑賞~その1~ 体を使って《ミロのヴィーナス》を楽しもう



誰もが知っている、ミロのヴィーナスです。
ギリシャ彫刻と言えば、この作品ですね。
美の女神を表した彫刻ですので、美の代名詞、美しいものの規準のように思われています。
では、なにがそんなに美しいのでしょうか。
よく言われているのが、理想的なプロポーションということです。八頭身だとか、黄金比が用いられているなどとも言われています。でもそれだけではないのです。この作品が優れているのは、理想的な体の比率が、流れるような動きのなかで実現されていることにあります。そのことを、みなさんの体を使って感じてみましょう。




まずは、まっすぐ立ってみてください。「気を付け」の姿勢ですね。両足のかかとをしっかり床につけて、両足に均等に体重をのせます。背筋を伸ばして、腰骨の上に背骨がのっているイメージを持ってください。この姿勢は安定してはいますが、動きはないです。また長時間このままだと疲れます。そこで「休め」の姿勢にします。




みなさんの右足(図では向かって左)に体重をかけて、反対の足を床から浮かせます。
このままだと体は左側へ(図では向かって右へ)倒れてしまいます。



倒れないため、我々の体は自然にバランスを取るようにできています。
まず体重をかけている右足の上の腰骨が上がり、反対側の腰骨が下がります。肩は右肩が下がり、左肩が上がります。それによって上半身は右側へ(図では向かって左へ)引き起こされます。このとき、背骨は微妙に左右に湾曲します。体の中心を通る線(体軸)が緩やかなS字曲線を描きます。


左足(図では向かって右)をさらに前に出してみましょう。人は歩くためには、どちらかの足に体重をのせて、反対側の足を前に出します。普通、左足が前に出ると、自然と右肩と右手が前に出ます。左手は後ろに引きます(武術や古典芸能には、同じ側の手足を出す運足もあるそうですが)。
このとき、体をひねる動きが出てきます。すると体軸には前後の動きが出てきます。S字曲線は、左右に加えて前後にも湾曲する、立体的な美しい螺旋曲線を描きます。



この状態から、左膝を上に引き上げて、左足を右足の上に置いてみましょう。
右肩を少し下げつつ、ぐっと前に出し、肩と腰が90度近くなるぐらいまでひねります。顔は少し左上を向きます。
すると、ミロのヴィーナスのできあがりです!

腕は失われてしまっているので想像するしかありませんが、右手は前に出つつ下に、左手は上がり気味だったようです。
あとは、腰にバスタオルでも巻けば完璧です。
いかがでしょうか。うまくミロのヴィーナスをまねできたでしょうか。
我々の体が理想的なプロポーションかどうかはさておき(失礼)、この姿勢は人が二本の足で立って歩くために無意識に行っている、ごく普通の動きなのです。どこかが上がれば、どこかが下がり、前後、左右、緊張と弛緩と、部分部分は相反する動きをしながらも、全体としては調和している。あらためて考えると、うまくできているものです。
ミロのヴィーナスが美しく感じる理由は、このような自然の理とも言える人の体の動きを、見える形で表していることにあります。もっとも古代ギリシャ彫刻は、最初からこのような流れの美しい彫刻だったわけではありません。時代とともに、直立不動から、体重を片足にかけ、関節で曲げ、体をひねり、どんどん動きを表していきます。ミロのヴィーナスは、その古代ギリシャ時代末期の作品です。進化し続けた人体表現の到達点を示す代表例なのです。

なおこのような体の表現の仕方を、コントラポスト(Contrapposto)と言います。コントラポストは、その後、西欧社会に引き継がれて、人体表現の規範になります。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロも用い、現代でもファッションモデルの決めポーズや、マネキン人形に至るまで踏襲されています。



ところで、ミロのヴィーナスの写真は、顔の正面方向や、体の右側(鑑賞者側からすると向かって左側)方向から撮影したものが圧倒的に多いです。
なぜでしょうか。
その理由は、ルーブル美術館に行って現物を見ると一目瞭然です。
この彫刻は、体の右側(正面から見ると向かって左側)へ倒れそうなのです。
見栄えがあまりよくないので、後ろ姿や、体の左側の角度から撮影した写真が少ないのです。
この作品は、美の規範とされながら、実はとてもバランスの悪い彫刻なのです。
左膝を高く上げ、体を右にひねる姿勢はかなりきつく、無理があります。いくらコントラポストが自然の理にかなっているといっても、上体をひねりすぎると、やはり足元はおぼつかなくなります。
古代ギリシャ彫刻の末期には、動きを求めるあまり、体をひねりすぎる作風のものが多くなります。そうなると彫刻は、もう自分の足では立てなくなります。高さが2メートルを超える大理石の像ですから、相当な重さがあります。それを細い足首で、しかも片足で支えるのは物理的にも無理なのです。そこで、さりげなく支柱代わりのモチーフ(物置台、柱、壺、腰にかけた布など)を付け足して接地面を増やし、なんとか立たせようとします。ミロのヴィーナスもその一つなのです。
古代ギリシャ文明、とりわけその彫刻の発達の歴史は、我々に進歩というものについて、考えさせてくれます。人は直立二足歩行をすることによって、進化を始めました。でも、二本足は不安定です。体をひねり、歩き続けなければ、倒れてしまいます。ですから人は歩みを進め、世界に広がり、文明を築き上げました。でも、ひねりすぎ、動きすぎると自立できなくなる・・・。この進歩の先には何が待っているのでしょうか。

コロナウィルス禍の今だからこそ、我々の社会や文明について考えてみるのも大切なのかもしれません。ミロのヴィーナスをまねしながら、そうしたことに想いを馳せてみるのもまた良いでしょう。
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上記の内容は、下記のPDFファイルでもご覧いただけます。
執筆者 堀切正人
教育学部生涯学習学科 准教授
常葉ギャラリー 館長
(専門は博物館学)

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