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【理事長・学長メッセージ】創立記念日(令和2年6月8日)を迎えて


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学生の皆様
教職員の皆様
74年目の創立記念日を迎えて
令和2年度が始まり2カ月が経ちました。今年度は新型コロナウイルス感染症拡大防止のためにポータルサイト等を用いた遠隔授業を行っておりますが、段階的に社会経済活動を引き上げていくという国や県の方針に応じて、本学も本日6月8日から、一部の授業を対面で再開することとなりました。奇しくもこの6月8日は本学の創立記念日にあたります。
本学は、74年前の昭和21年(1946年)6月8日、静岡浅間神社北回廊にて開学した静岡女子高等学院をその祖とします。創立者は日中文化交流史などを専門とする著名な歴史学者の木宮泰彦です。創立者の自伝や折々の式辞などをまとめた『八十年の生涯-木宮泰彦 自伝と追憶』(福原龍蔵編、昭和45年)に静岡女子高等学院の卒業生である大畑たつ江さんが次のように書いています。

荒涼たる焼野と化した静岡市…、アチコチに、ヤミ市が立ち並び、人々は住宅難もさることながら、その日の糧を求めることに必死の形相でありました。

静岡女子高等学院創立の昭和21年6月8日は、終戦からまだ1年も経っておらず、日本は進駐軍の支配下にありました。先の大畑さんの言葉にもありますように、静岡市は焼け野原の状態で、食べるものも着るものも極めて入手困難な時代でした。そんな困難な時代に、創立者は旧制静岡高校の教授を辞して、私財をなげうって学校を設立しました。創立者を学校設立に向かわせたのは、何といっても教育の持つ無尽の力でした。静岡女子高等学院設立趣意書には次のように書かれてあります。

敗戦によって混沌・不安・惨苦のどん底に陥った日本をして再び立ち上がらしめ、光輝ある平和な文化国家新日本を建設するには、何といっても先ず教育の力に俟(ま)たねばなりません。

新聞の片隅に生徒募集の小さな広告が載り、50名の募集に対して200余名の応募がありました。戦争中、女子学生たちは勤労奉仕のために勉学を中断せざるを得なかったわけですが、そのような女性たちの学び舎を求める熱い思いがこの数字から読み取れます。静岡女子高等学院はそのような女性の期待に応えました。大畑さんは、静岡女子高等学院での学びを振り返り、次のようにその喜びを同じく『八十年の生涯-木宮泰彦 自伝と追憶』に記しています。

和紙にしみてゆく水のように、私の心の中にしみ透ってゆく知識…、それは何と甘く、何と香わしい、砂漠で飲む清水のようなものでした。

創立者は、大畑さんと同じように学びの機会を探し求めていた多くの女性たちに、学びの場と学びの喜びを与えたのです。

創立翌年の昭和22年、現在の6・3・3・4制の学校制度が始まり、創立者は同年7月に「常葉学園」設立許可の申請書を文部省(今の文部科学省)に提出しました。この「常葉」という名は、『万葉集』にあります聖武天皇の御製、「橘は実さへ花さへその葉さへ、枝に霜ふれどいや常葉の樹」にあります。そして、本学の建学の精神である「より高きを目指して~Learning for Life」には、この御製にある霜雪に耐えて常に青々とした葉を茂らせる橘のように、いかなる苦難にもめげずに未来に向かって学び続ける人物に育ってほしいとの創立者の願いが込められております。
本学を含む学校法人常葉大学は、創立以来74年にわたり、静岡県の教育を担ってまいりました。現在、幼稚園から大学までの11の学び舎を擁し、在学生はおよそ12,000人を数え、卒業生は総勢約15万人となり、静岡市や浜松市をはじめとして、県内外の各方面でその多彩な能力を発揮して活躍しています。
私たちは目下、未曽有の新型コロナウイルス禍のために極めて困難な状況に立たされておりますが、戦後の混乱期に幾多の難局を乗り越えて今日の常葉大学の礎を築いた創立者をはじめとした先達方の勇気と知恵に思いをはせ、また、いかなる苦難にもめげずに「より高きを目指して~Learning for Life~」という建学の精神にもとることなく、常葉の関係者の皆様とともに力を合わせて、この難局を乗り越えていきたいと願っております。

令和2年6月8日
学校法人常葉大学理事長・常葉大学短期大学部学長 木宮健二
常葉大学学長      江藤秀一

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